不妊治療と*ときどきわたし

不妊治療(顕微受精)備忘録〜無精子症を乗り越えて〜現在2人目妊活中*

東日本大震災から9年

こんにちは!saltmamです。

 

 

 

さて、本日は3.11 

 

14:46

 

東日本大震災

 

が、あった日ですね。

 

 

あれからもう9年

 

被災された方々には心よりお悔やみ申し上げます。

 

 

 

購読しているブロガーさんにも何人か書いていらっしゃる方がいらしたので

 

 

私も当日について少し書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

9年前の今日3.11

 

私は大学の卒業式でした。

(年齢バレちゃいますね。いや、今日はそんなこと置いておきます。)

 

大学は首都圏内とだけ記しておきます。

 

午前中に式典を済ませ、お昼はホールで教授や友人と軽食をとりながら談話していました。

 

母も来ていたので、早めに大学を出ました。14時前かと思います。

 

軽食をとりながら…と、言ってもサンドイッチやお菓子を1つ2つの話だったので、お腹がすきました。

 

近くの駅ビルにたまに行く喫茶店があったので、そこで遅めの昼食にすることにしました。喫茶店は駅ビルの5階あたりだったと思います。(今は改装されてもうありません。)

 

忘れもしません、アイスコーヒーを2人で先に飲みながらペスカトーレを待っていました。

 

14:46

 

ズドン、と強い衝撃を受けました。

ビルが何かに叩かれたように感じました。

 

次の瞬間、グラグラ…ガタガタガタガタ!!

 

 

!!!!!

 

 

とにかくテーブルにしがみつきました。

母もとにかく自分の身を守ることで精一杯でした。

 

しばらくすると揺れはおさまり、店員さんに早く外に避難してください!!と言われ、我にかえりました。

 

震災の経験がないので、母はその1回と思ったのでしょう。私もよく分かりませんでした。まず避難ではなく、夕食のおかずを買っていこうという考えになりました。

 

駅ビルの2階にあるお惣菜屋さんで、その日の夕食のおかずを少し買ってさて帰ろう!としたとき

 

ズドン!!

 

もうさすがにパニックです。

 

会計も済ませていたので、揺れながらでしたが母の腕をつかみ外に出ようと階段へ向かいました。

 

すると階段で荷物を持ちながら動けなくなっているおばあさんを見つけました。

 

母もそのときは50代、足腰しっかりめの人なので自分の荷物を任せ、私はおばあさんの荷物を持ち、半分担いだ状態で外まで出ました。

 

駅前には大勢の人が携帯を片手に立ち尽くしていました。異様な光景でした。

 

おばあさんは幸い怪我もなく、お礼を言われ別れました。

 

携帯は繋がらない…と思いきや、今や懐かしの通話専用で持っていたウィルコムは繋がったのです!!

 

安否確認をしたい人にだけ電話をし、さてどうやって帰宅しよう?と母と相談。

 

バスは何とか動いていたので、バスの乗り継ぎと徒歩(各駅2つ分程度)でどうにか自宅に帰ることができました。

 

そんな3.11でした。

 

2週間後、その喫茶店を訪れてアイスコーヒー2人分のお金を払いに行きましたが

 

店長さんに

 

いや、あの日はみんなが大変な思いをしたので、お代は受け取れません。またのご来店を心よりお待ちしております。

 

と、言われ泣きそうになったのを今でも覚えています。

 

 

翌月の4月〜は就職だったので

 

それもどうなるかと心配していましたが、無事に仕事は始まりました。

 

あれから9年、結婚してから我が家の防災意識も変わりました。

 

非常食・水の保管、スリッパ・懐中電灯を枕元に置く、家具・家電の補強…

 

できることはやっているつもりです。

 

 

 

 

 

現在、関東の一部に住んでおりますが

 

今日はとても晴れやか、ポカポカ暑いくらいの良い天気です。

 

息子の手をしっかり握ってお散歩に行ってきます。

 

みなさんにとって良い日となりますように。

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました!!